ツアーとこれからと(今日のおかず「Kyte/They won't sleep」)

 karte怒涛の一ヶ月だったと言えるでしょう。新しいアルバム「雨の嘯き」のリリース。Gt鬼岩の脱退宣言、弾丸ツアー、Ba高栁の脱退宣言、karte初のワンマンライブ。時系列順だとこんなところでしょうか。まとめてしまうとあっさりしたものですね。

 さて、今回のツアーはとても身になる内容となりました。色々なハコ、バンド、たくさんのお客さんとの出会いがありました。イベンターやハコのスタッフの方々には、本当にお世話になりました。遠征して観に来てくれたお客さんや、ツイッターなどで応援してくれていたツアー先のお客さんに会ったときは、気の利いたことが何も言えませんでしたが、本当に嬉しかったです。対バンはカッコいいバンドばかりで、また必ず一緒にやろう!と約束したバンドもいくつもあります。ただ正直なところ、ツアーの途中まで、それに即答することはできませんでした。これで最後とするのが、良いのかもしれないと。

 こういうところに書くべきではないのかもしれませんが、こういった葛藤を抱えているのは僕だけではないでしょうし、それに対する気づきが、色んなアーティストへの応援の気持ちへと繋がってくれればと思います。

 

 今回ほどに悩んだのは久しぶりかもしれません。karte結成当初してしばらくの頃、今から振り返れば随分前に、「自分は音楽をやらなければならない」のだなと気づきました。好きだからではなく、決意したときの使命感によって続けています。その時から、音楽が嫌いになっても、どれだけやめたいと思っても、一人になっても、やることを決めました。そして残るは、やると決意したからやる、です。もちろん、音楽が好きというのも、関わっているとは思いますが。「気づき」からその「決意」にいたるまでには、随分悩みました。期間にして2年間といったところでしょうか。他にやりたいこともありましたし、これじゃなくたっていいんじゃないかと、どうして今になってこうなるのだと、葛藤の毎日でした。

 ある意味では、今でもそれは続いています。常に先の見えない恐怖、毎日襲い来る自身への失望、酷い被害妄想等々にいつも押しつぶされそうです。正直に書きますが「もうやめたい」なんてしょっちゅう思います。しかし、「気づき」から「決意」に変わるまでの期間を思えば楽なもんです。なぜなら、もう「決意」して、「やる」ことが決まってしまっているからです。自分の悩みだの願望だのは、もはや選択を左右するものではなくなっています。逆に言えば、もう「やる」と決まっているのだから、いくらでも悩んで良いし、苦しんで良いし、やめたいと思っていいんです。そんなに辛いのに、続けるとか決意したからとか、意味がわからないとお思いの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、理解できなくて良いと思いますし、理解する必要も無いと思います。たまたま自分は、「そういうタイプ」の人間だ、というだけです。それに先にも触れましたが、音楽が好きだ、という思いもありますしね。

 前置きが長くなりましたが、今回はその使命感すら揺らがせるものがありました。決意があるはずなのに、やると決めたのに、なぜか?それは、揺らぎの原因が自分の願望に基づいたものではなかったからです。先に触れた通り、僕の願望は選択を左右するものではなくなりましたが、もし、「自分は音楽をやらなければならない」という「気づき」と同じ感覚によるものだったら?「使命感」によるものだったら?大いに揺らぎの原因足りえます。そして、それは僕の中に起こりました。

 「ここでやめるべきである」「やめなければならない」という新たな考えが頭をめぐりました。それは「やめたい」とは別のところから来るものなのです。また、その考えが頭に出てきたということは、自分の限界はここなのではないか?とも思いました。もし運命みたいなものがあるとすれば、ことあるごとに足を引っ張ってくるそれは、決意とは別のところで自分の道を左右しているのではないかと。なんだか妙な話になってきましたが、それほどまでに僕が揺らぎの中にあったということです。ただ、考えを深めていくうちに一つのことに気がつきました。

 例えば、自分には無尽蔵に使えるお金があって、衣食住全て揃っており、生きて行く上で何も心配なことが無い状態にあるとします。その時自分が何をやるか?と考えると、やはり「音楽を続ける」でした。それも、趣味でやる形ではなく、です。つまり、そういった心配が無いフラットな状態であれば、「やらなければならない」のほうが「勝つ」んです。ということは、「衣食住所々揃っていなくて、生きて行く上で不安なことだらけでも良い」と前提すれば、やはり「やるべき」となったのです。

 しかし、やめるバンドにそういった覚悟や決意が無いかといったら、それとこれとは別の話です。バンドや、そのメンバーにはそれぞれの決意と使命があります。あまり考えてない人でも、願望はあるでしょう。そもそも、自分は必ず成功するのだから、考える必要も無いという人も要るでしょう。結局、その人の人生で何に最も重きを置くかの違いでしかないのです。僕の場合は、それが自分の決意であったというだけです。解散してほしくなかったバンドは、僕にもたくさん思い当たります。でも、解散しないでくれ、と言うのは簡単ですが、もしそのバンドが解散せずに、メンバーは貧困にあえぎ、ライブもろくにこなせなくなり、他のファンが離れていくような状況になったとして、じゃぁ続けてくれと言ったのは自分なので、責任を持って自分が養います、なんてとても出来ませんよね。もちろんバンド側はそんなこと微塵も考えていないでしょうけど、現実的に考えて、バンドで食っていくなんて無謀もいいところです。もちろん残念には思います。ただ、やめていった彼らが生きていけることの方が重要です。「衣食住所々揃っていなくて、生きて行く上で不安なことだらけでも良い」から続けるなんて言っている奴は馬鹿です。僕です。馬鹿です。もう今年度で26才になりますが今も一ヶ月10万そこらで暮らしています(私事)。

 ただそれでもやっぱり、大切なのは応援することなのだと思います。解散するしない以前に、バンドを続けるということは、大なり小なり、不安の中にいるからです。別に不安はあっても良いと思いますが、時折、頭の中の考えが悪循環を起こし、自分で立て直すにはどうにも時間がかかる状況というのがあります。そういったとき、応援してくれている人がいるというのは、本当に支えになります。責任なんか取れなくても、「解散してほしくない!」と言って良いと思います。というかファンは無責任な方が良いと思います。無責任と言うことは、純粋に好きという感情だけで物を言えるということです。むしろ責任が生じてしまったが最後、余計なことを気にして、本当の純粋な気持ちをバンドに伝えることができなくなるかもしれません。それはバンド側も決して望まないことでしょう。それにもしかすると、そのやめてほしくないの一石が、踏みとどまらせて、将来的に成功する「かも」しれません。とはいえバンドマンも人間ですので、あまり言われると逆にプレッシャーを感じてしまうかもしれません。しかし、そのくらいで良いと思います。逆にバンド側も、そのプレッシャーを、応援を、様々な形で貰っていることを頭にいれ、それに責任を感じつつも、無責任に振舞うくらいが丁度良いのかもしれません。

 

 随分長くなりましたが、大体こんなことを考えてkarteを続けることにしました、という事です。いつライブ活動を再開するかは、まだ言えません。ただそう遠くならないんじゃないかな、と思います。なぜなら、karteは活動しているからです。あ、僕にお小遣いくれる人を随時募集中です。

 

 さてツアーファイナルの初ワンマンですが、100名以上の方が来てくださいました。実は個人的に目標100名!とか言ってたので、おかげさまで無事達成できました。皆様ありがとうございます!はじめてのワンマンで、おそらく2時間弱ほどのステージだったかと思いますが、あっというまに終わってしまいました。セットリストの後半にさしかかたっとき「もう後半?」と思っていたのを覚えています。現メンバーでの最後のステージというところもあったのかもしれません。ただ、普段あまりライブを「楽しい」と言いたがらない僕ですが、今回ばかりは言います、楽しかったです。

 karteの次章はまたここから始まります。少しお時間はいただきますが、またライブをしにライブハウスに戻ってきます。僕個人とは、ライブハウスでお会いすることがあるかもしれませんが(笑)。今回の件も、もしかすると、「ことあるごとに足を引っ張ってくるそれ」ではなく、「次へ進む為に引っ張ってくれるそれ」なのかもしれません。振り返れば今までだって、karteはメンバーが替わるたびに、良くなっていったと思いませんか?ひとまずは次のその時まで、首を長くしてお待ちください。

 

Kyte/They won't sleep

 

 

立山

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    まこ (金曜日, 29 5月 2015 02:15)

    何度も…何度も読み返して、さらっと書かれた時系列の奥の物が立体的に感じとれ、久しぶりに最近の自分の事とかを色々考えて脳が活性化しました。
    初ワンマン大盛況、目標達成おめでとうございます!本当に楽しくて忘れられない夜になりました(*ºωº*)
    次へ進む為に引っ張ってくれるそれ。に期待して進展を楽しみに待っています。