何かを始める時は(今日のおかず「生命のシンバル/藍坊主」)

怖くて怖くてしかたありません。全て投げ出して、逃げてしまいたいという衝動に駆られます。

未来をイメージするだけで、頭痛がして、吐き気がします。ずっと布団に包まって泣いていたいです。

 

意気揚々と、両目をキラキラと輝かせて、歩み始める人も居るでしょう。

でも俺は、辛いことや、大変なことは当然として、どんなに希望に満ちたことであっても、大きな転機を孕んでいることであっても、とてつもなく大きな恐怖に包まれます。そこに喜びの芽があったとしても、恐怖と不安の大樹が覆って「光なんて無い」と諭してきます。それは間違っているかもしれないけど、正しいかもしれない。

 

それでも「何も始められない事」から襲い来る苦しみに比べれば、幾分かマシです。自分が何かしているときというのは、部分的であっても、自分を認めることが出来るときです。もちろん、やることが多くても少なくても「安心」は訪れないし、やるべきこと以外のことをしているとき、例えそれが自分にとって必要であったとしても、自己嫌悪と焦燥感は拭えません。

それでも、マシです。

 

苦しいことに立ち向かった先に待っているのは、きっともっと苦しいことだと思います。

辛いことに立ち向かった先に待っているのは、きっともっと辛いことだと思います。

幸福を手に入れたいなら、もっと良い方法なんて腐るほどありました。これからもそれらは後ろから髪と足を引っ張って、自己嫌悪と後悔を与えてくれると思います。月日がたつにつれて、その量も増えていくでしょう。しかし、それで結構。自分に必要な事なので。

ただ俺は納得したいだけなんですね。色々なものを犠牲にしていますが、それでもね。

 

生命のシンバル/藍坊主

 

 

立山